歪曲したフィギュアスケート
こんにちは
皆さんは“フィギュアスケート”という競技を知っていますか?
フィギュアスケートは丁度この時期から行われるスポーツの一種です。
氷上で音楽に合わせてスピンやジャンプをしてその美しさで勝負を決めるものです。今回は、このフィギュアスケートについて書いていきます。
フィギュアスケートについて書き連ねるのは間違いないのですが、今回の記事はフィギュアスケートの“美”について触れる訳ではないのでフィギュアスケートを愛している人やフィギュアスケートに命を助けられた人は読まない事をオススメします。というか読まない方がいいです。
↓本文始まります。
僕が、フィギュアスケートの存在を認知し始めたのはまだケツの穴も青い頃、小学生の時でした。お母さんがフィギュアスケート好きで冬の時期には毎年、テレビで各国の選手達が己の持てるパフォーマンスを発揮している場面を観ていました。
最初はただ「僕には無理そうだな」や「この人達は凄いんだろうな」という抽象的な感想しか出てこなかったのですが“あること”を知ってからはフィギュアスケートを見る目が変わりました。
それというのが“性的コンテンツ”でした。お父さんが昔使っていたデスクトップ型のでっかいパソコンで、初めて知り得たその“エロ”は僕の生活に多大なる影響を与えていきました。当然といえば当然です。今まで“エロ”という概念がなく、静かな水面(みなも)を見つめて生きていたのに、そこへ急に爆乳を淫らに垂らして僕を誘惑しようとする女神がザバーッと水中から唐突に姿を現したのですからね。そりゃ、変わる。変わらない方がおかしいのよ。
で、やはりエロを知ってからは更にそのエロという森を草木を掻き分けつつ、堪能していく訳です。「パンチラなんてものがあるのか…凄いな」、「二次元!?もう一つの次元があるのか…!?」、「外で小便?僕がするのとでは大違いだな!」という具合でもう気分は、探検家ですよ。エロの探検家です。
しかし、そう言った探検にも終わりは付き物で、僕はこう思った訳です。「これ、親に見られたらおしまいだろ」と。一度そう考えてしまったら迂闊にあの楽園に戻ることができなくなり、ある種の“楽園追放”みたいになってしまいました。
しかし、一度浸かった温い沼から元いた場所へ再帰するのが難しいように最大幸福を手放すのは、僕には無理な話でした。そこで目をつけたのが”フィギュアスケート“でした。
フィギュアスケートは、本来そういう目で観るものではないことは百も承知なのですが、当時の僕は1に命、2に性的コンテンツのバカだったので致し方のないことだと思います。しかし、テレビは普通に見ててもエロいものは映らないし(とは言うものの、お願いランキングで胸元を見せる回(優しい人みたいな題)があったと思うのですが、あれは今思い返してみても放送コードギリギリなのではと思う位には凄かった)、デスクトップは使えない。
そこに飛び込んできた迷える船に導きの手を差し伸べる灯台的役割を果たすフィギュアスケートの擬似パンチラ。革命でした。
フィギュアスケートの衣装は多分レオタードみたいな感じだと思っているのですが、どうなのでしょうか。レオタードという体で話せばあれは実際、パンチラでも何でもないです。
ダブルアクセルとかトリプルアクセルをした時にもう寸分の狂いなくオールが見えるレオタードを勝手にパンツと思い込んで興奮していました。
今もフィギュアスケートを観るときにまず「そういえば小学生の頃はこんな事を思いながら観ていたな」と要らんことを思い出してしまうようになって僕は苦しいです。これは世の男性全員が受けるべき苦痛だと思い、僕はこのブログを書きました。
しかし、このブログを見る年齢層なんて全然分からないのでもし仮に無垢な小学生男児がこの文を読んで、同じようなことをしたとしたら僕はどんな気持ちで明日を迎えればいいのでしょうか。
全国の母というポジションに属する皆さん、冬場にいきなりあなたの息子さんがフィギュアスケートに興味を持ち出しても深くは問い出さないであげて下さい。あなたの息子さんは大敵と対峙している最中なのです。優しく、背中を見守ってあげて下さい。その背中、大きくなります。間違いないです。よろしくお願いします。
これだけが僕の願いです。