メイド喫茶を“見送った”話
こんにちは、いなみです。
今日、僕はふと思い立ち秋葉原に足を運びました。
第二次世界大戦後の日本において、闇市として発展した。その後、高度経済成長とともに多様な電子機器や部品(ハードウェア)およびソフトウェアを取り扱う店舗などが建ち並ぶ世界有数の電気街として発展した。世界的な観光地の顔も有する。秋葉(あきば)・アキバ・AKIBAの略称で呼ばれる。(Wikipediaより)
人間、行動を起こす時はそれに“意味”が必ず付随するというのは余りにも有名な言説ですね。そしてまた今回、僕が秋葉原に出向くのにも“意味”があっての事なのです。それは…
という理由から僕は秋葉原に行きました。「人生ゲーム?もっと大人数の方が楽しいのでは」と頭を抱える愚かな人もいるとは思いますがまず何でこんな事を思ったのか…
多分なんですが僕は“メイド”という概念が好きなのかもしれません。(概念と書いたのはそのメイドさんのポテンシャル如何によって左右されないという意味合いが含まれているので)
自分でもビックリしました。現地に着いて暫くビラ配りや声掛けをしているメイドさんを傍観していた時にぱっと芽生えた感情でした。
「こう言ったことに感情移入するのは結構危うい行為ではあるけれど」と頭の中では分かってはいるのですがどうもまあ、好き。
「仕事だから」とか「当の本人は金にしか目ないぞ」とか「直結みたいな思考でキモい」とは思います。
しかし、寒空の下で素足を出しながら雑務をこなす姿は見惚れてしまいます。(書いてて思ったんですけどメイドという概念に若干の“揺らぎ”があるように感じますがこんなとこでぐだぐだ言ってたら一生終わらないので今回は目を瞑ります。瞑ってください。)
さて話を戻すと僕はどうやらメイドが好きらしい。そこでメイドさんと何をしたら楽しいか…何が出来たら嬉しいか…考えます…。
一緒に考えてください…。
…
人生ゲーム。
…正解。
一択でした。人生ゲーム以外ありえません。かの有名な諸葛亮も前戯の前にまず“人生ゲーム”という前前戯(前前前世みたいですげえウケる)を挟むというのはあまりに広く知れ渡っている話です。
僕もそんな聡明で知的な諸葛亮に倣ってメイド喫茶にて人生ゲームをば…と息巻くのです。
そして時系列は秋葉原を散策している最中にシフトします。
分かる人は分かると思うのですが“メイドさんがビラ配りや声掛けをしているゾーン”(あるよね)が存在しているんですよね。
そこで僕は「すみません、おたくの店で人生ゲームをしたいのだが?w」と聞いてみることにしました。
僕「…」
メイド「ご主人様、お嬢様達〜」
僕「…」
メイド「メイド居酒屋は如何ですか〜?」
僕「…」
…
…
…
そういえば僕は“女の人と喋る“というのをすっかり忘れてました。
大学生になってから女の人と喋るということが極端に無くなっていてどういう風にどのような顔で話せばいいのか…というのを失念していました。頭から完全に消えていました。その仕組みが…
さらに追い討ちをかけるかのような出来事が…
メイドさん、結構”別世界の人“感ありません?
こんな一介の男子大学生が上述のふざけ散らかした疑問をぶつけてしまっていいもんかと反問してしまいました。
結果だけ言えば喋れないので「ぬっ…あ…チ…チラシ貰ってい…いいっすか」というクソウンコみたいな声色でメイドさんに話しかけてチラシだけ貰いました。
見送りってこんな感じなのかなと。
チラシを壁に貼ってこの屈辱を何度も思い出し…次、秋葉原で行く時はこのような失態をおかさないようにと心に固く誓いました。
また件の人生ゲームなのですが、「ドンキで現地調達するか」と考えてドンキに行きまさしく置いてあったのですがそれが想像の1.5倍デカかったです。”人生ゲームEX“という名前なのですが「いくらEXでも限度ってあるじゃん?」と言いたくなる位のデカさでメイ人(メイド喫茶で人生ゲームの略)はそこで途絶えました。
不甲斐なさでいっぱいいっぱいです。何でこんな気持ちにならなければいけないのか。
世界謎感情ランキング10位以内にはランクインしてんじゃねえのかなという感じです。
このブログを見たメイ人名人の方は「メイ人をあまり甘く見ないで欲しい」という憤慨の情でおられるでしょう。
申し訳ありません、また次、リベンジさせて下さい。果たすまで諦めません。
待っていてください。
P.S. 慰めとしてほろ酔いサワー(コーラ味)買おうと思ったら売ってなくて悲しくなった。地元には売っていたのに。そういう日もあるのかなと.やれやれと言った感じです。
メイドさん、お仕事頑張って下さい。いつか、いつかまた会えるその日まで辞めないでどうか…